柿の葉寿司の特徴



柿の葉寿司のはじまり

 

 

江戸時代には、奈良五條や吉野へ運ばれてくる海産物は、熊野灘から伯母峰峠を越えて行商人の背負い籠で運ばれてくるか、紀ノ川を遡ってくるかのどちらかのルートを使っていたようです。もちろん冷蔵設備などない時代ですから、途中で魚を腐らせないために、魚の内臓を取り出し、代わりにたくさんの塩を詰めた状態で山間の村へと運ばれてきたわけなのです。

 

 

そして、五條や吉野にその魚が届くころには十分に塩がまわっていたため、煮ても焼いても非常にしょっぱいものとなっていたようです。

 

そこで考えられた方法が、その魚の身を薄くそいで白御飯の上に載せて食べるというものです。この塩鯖の切り身をにぎりめしに添えて、裏山の柿の葉で包み、川石を重しにして一晩置いたものが柿の葉寿司の原型であるといわれており、この地方の夏祭りには欠かせないごちそうとなっていったのです。

 

 

五條から吉野にかけては、全国でも有数の柿の産地となっています。遠い海から塩漬けにされて運ばれてきた鯖とにぎりめしを合わせ、それを身近にある柿の葉で包むという発想は、この地域の風土によって必然的に生み出されたものであるといえるでしょう。

 

当時の貴重なタンパク源である魚を塩でしめることでその保存性を高め、柿の葉の豊かな香りで味わいを深めた柿の葉寿司には、この地域に暮らす先人たちの見事な知恵が結集されているわけなのです。